登山という行為を媒体として、体験することのできる人間の感覚は、おおざっぱ
に言うと次のようなものが上げられると思う。 一、しっかりした岩の快適な登輦の愉しさ −、困難なピッチで確保する者と登拳する者の手にあせをにぎる緊張感 一、急勾配の斜面を重荷に煽ぎ、汗水をしたたらせ登る苦しさ 一、強風の中で行動する時の寒さや空腹感 一、緊張した後のやまれぬ喉の渇き 一、何事か成し遂げた名状しがたい解放感 一、テントの中で燃えさかるコンロを囲んだときの安堵感 一、少ないながらも仲間と分けあって摂った食事の満足感 そんな感覚の貴重な体験も時を重ねる毎に薄らいでいく。時には一偶の山行とい う事実さえも、誰かの回顧談や自身が記したメモ、或いは山岳雑誌のグラビアに掲 載された写真や記録欄を読む機会がなければ思い起こすことすらない場合もある。 さてここで私は感覚について書こうというのではなく、そんな不確かな人間に生 まれた私という一個人の記憶をたよりに仲間3人と登った南アルプス、岳沢の遡行 の様子をできるだけポイントを押えて綴ってみようと思います。 私は今回を含め二度この岳沢を遡行したことになる。一度目は、A山岳会在 籍当時の70年代後半の頃。パートナーはB君というファイトある好人物でした。 そして今また、山桂会の正月合宿で二度目のチャンスを得ることになった。 メンバーは会の創立者である大松さん。今回の山行のために最新のギアを揃えて 意欲満々である。次にアイスクライミングに異常な程熟心なSさん。この人もギ アには凝るタイプ。三人目は、今回の山行になくてはならない人、坂本突撃隊長。 最近とみに力をつけ登攀では必ずトップを登る実力派の1人である。案内役の私は 良きアドバイザー兼カメラマンを務める。 12月31日 総勢四名で岳沢出合に新調したばかりのダンロップ四人用テントを設 営しコンロを囲んだ頃、陽は西に傾き、大仙丈岳の西南上部をあかね色に染めてい た。これで明日の晴天は約束された。今夜は大晦日、重荷に喘ぎながら背負ってき たビール、酒、ワインを次々に空け明日の必勝を期す。例の安保論争も起こらず、 特級のプタこと大松さんは静かに眠りにつき、闇を引き裂く坂本突撃隊長のいぴき のみがいつまでもテントの中にこだましていた。 1993年1月 1日 予想通り晴れている。30分程、消え かけたトレースを辿るとF1に着く。 酒類が減ったとはいえ食糧や登撃具が 詰ったザックはズッシリ重い。 坂本突撃隊長はノーザイルでここを 登るという。各自思いおもいのルート をとることにする。そしてF2、F3 は記憶に無い。続くF4、50m滝は やはり大きい。ここも、坂本突撃隊長 が左岸の氷瀑上部を左上して、くの宇 にまがった沢の中に消えていった。滝 の中央部はひんぱんにチリ雪崩が落ちる。 もし、この中央部を登る場合、高度なアイスクライミングのテクニックを要求さ れるだろう。S、大松、私と続きF4とF5の中間部分の少し平らなところで休 憩する。沢は右に折れて30mF5は急勾配だ。先行パーティーが登った跡は氷が破 壊されていて登りにくそうだ。いま登ってきたF4、50m滝はここから見るとさす がに高度感がある。狭い沢の中にもようやく陽が射してきてポカポカしてきた。一 服を終え、調子のいい坂本突撃隊長が右岸側から取り付いた。アツクスを打ち込ん だ先端から吐き出すように水が光を映して銀鱗を踊らせて落ちてくる。私はその瞬 間をカメラに納めた。 坂本突撃隊長の確保の体制が整い、Sさんが登り出した頃、大松さんが、「ワ シ、うんち。」と誰に云うでもなく言っておもむろにヤッケのズボン下ろした。登 撃中のうんちは珍しいことではないが、私はなんとはなしに大松さんの姿勢に目を やってしまった。すると京都名産守口漬の太い奴が一尺二寸余りも垂れ下がってい るではないか。私はすごいものを見てしまった。出すものを出しきってスキッとし た表情と、少しテレを含んだ笑みを見せて衣服を整えている間に、大松さんが登る 順番が廻ってきた。ベルトにザイルを結び終えて、 「サカモトーツ、イックゾー。」 と、気合と共に自慢のアックスを水に打ち込んだ。鮮やかに、軽やかに、一歩、二 歩と身体を引き上げた。そして、やや傾斜の強いあたりで動きが止まった。もがく ような動作を繰り返す。しばらくして 「ザイル張れ−。」 ***************** 「バカー、もっと引っ張れって−。」 と、上に向かって罵声を浴ぴせる。やがて自らの意志か、或いは単純に重力の法 則に従ったのか定かではないが、(私には重力の法則に従ったように思えた)大松 さんはふり出し点に戻ってきた。 ここでちょっと読者の皆さんに断わっておきます。私は有力政治家、経済人、は たまた有名タレントや組織のトップの秘密.ネタを暴露して、足を引っ張ったり恥 をかかせようというような悪だくみは微塵も無いのです。ホントーです。そこんと こ松永という人間を理解したうえで読みすすめて下さい。 さて話を元に戻します。再度、果敢にも又いみじくも、氷瀑に喰らい付いた大松 さんは、さきほどと同じ位置で苦戦している。そして両手の自慢のアックスを手放 し、ツララの中に手を入れ何か奇声を発している。一部始終を見ていた私は笑いを 堪えることができずに居た。 ここで一つ学んだことがある。(水を登る方法は必ずしもアックスとアイゼンで 登るというやり方だけではない。時には両手で水をつかんで登る方法もある!) 私は素晴らしい教師に実演、指導を賜ったことを心から感謝しております。 大松さん、ホントにアリガトー〜 さてこの日はF5の落ち口から沢を100m程詰めたところに幕営適地を見つけて テントを設営した。雪崩の危険性が無くはないが今頃の条件ならさほど心配はなさ そうだ。さいわい氷の下には水が流れている。この水を利用して食事の支度をする ことができた。 遠く恵那山を望見でき、夕日の沈む瞬間と空の色彩の変化のドラマは一見に値す るものでありました。交互にテントから顔を出して様子を愉しんだ。 1月 2 日 ソーメン流しの滝を書こう。 何んといっても遡行のクライマックスである。わずかながら左右に蛇行しておよ そ120m程。坂本登攀隊長が2P登ってチリ雪崩の中で確保している。この頃にな ると少しガスかかってきて太陽の恵みは得られなくなった。 オーダーは昨日と同じ。ラストの私が三人の側を過ぎ左岸のテラ スをめざして右上気味に登る。テラス には腕くらいの太さの松の木が立って いる。これを利用して三人の確保体制 に入る。四人が揃ったところでしばし 休憩する。 次のピッチはソーメン流しの核心部 である。出だしはラグビーボールを半 分に割った様に大きくふくらんだ水で 真上に岩がひさしの様に張り出してい る。左岸のテラスから中央部に移動し なければならない。この移動の際に、 ザックが岩にひっかかり苦労させられ る。坂本登撃隊長は見事にここをクリアーして氷瀑の中央部に出た。 アイスハーケンを一本、二本と打ちおよそ80度の 氷瀑を力強く登っていく。やがてザイルの上昇も止まり岩にハーケンを打つ音が聞 こえてきた。合図があってセカンドのSさんは持ち前の身体の柔らかさで乗り越 え消えていった。 サードの大松さんが腰を上げザックを背負った。すでに二人が登りアックスとア イゼンでかなりの氷を落としている。部分的には岩さえ露出している。例の氷のふ くらんだところで大松さんのアイゼンがうまく決まらない。その上、ハングした岩 がザックに当たって一層難しい動作を強いられている。何度かこの部分の上がり下 りを繰り返し、やっとのことで左ヘトラバース(滝の中央部へ)して最後の上りに かかった。が、ここもアックスが決まらない。そして昨日のF5でのドラマの再演で ある。そうです。大松さんはツララにしがみついているのです。そして上に向かっ て大声で 「ザイル張れ−、アッ、落ちる−。」 ********************** 「もっと引張れ−って、バーカー」 と、悪態のかぎりを発する。一時間以上も苦闘を続けただろうか? 大松さんの身 体は徐々にではあるが滝の落ちロに向かい、やがて抜け出たらしい様子を感じとら れた。すさまじい大松さんの苦闘の様子を十分観察した後だけに、私はスッキリし ない。出だしのふくらんだ水は申し訳程度に水が残っているだけだ。アイゼンの置 き場所は極端に制限される。岩にザックが当たり、そのザックがヘルメットを前に 押して眼を隠し視界を遮る。それでも苦しさを堪えここを抜け出し滝の中央部へ出 る。ここと思うところの氷は打ち砕かれてグサグサの状態だった。アイスハー ケンを回収しながら落ちるかも知れないという不安感が脳裏をよぎる。アックスを 打ち込む場所を丹念に狙い定め少しずつ高度を上げ遂にフカフカの雪の上にたど り着いた。 長時間確保を続けていた坂本登攀隊長やSさんの身体は冷えきっている様子 だ。しかしこれから先に難場は無い。そこから来る安心感と、ソーメン流しを登り きった充実感で皆の顔は明るい。ラッセルと小さな氷瀑登りを繰り返しながら高度 を上げていく。 坂本登攀隊長は、疲労の色濃い大松さんにつきそい最後尾に付いた。Sさんと 私は今日中に安全圈へ出たい一心で左側の浅いルンゼに入り先行する。いつの間に か天候は回復し西陽が山の斜面を染めている。ラッセルがきついので、Sさんと 私は今日中に稜線に抜け出ることは不可能と判断し、比較的平らな場所を見つけテ ント設営の準備をすることにした。大松さんと坂本登攀隊長が到着し二人の協力で 整地も済んでテントの中におさまった頃は星がまたたいていた。予定より一日登撃 に費やしているので残りの食料は少ない。確かスープ類とアルフア米が少々であっ たと思う。それでも明日は下山できると思うと何とも言えない幸福感にひたる。 1月 3 日 快晴。だが風が強い。ハイ松に足を とられながらも高度を上げる。稜線に 出るとはるか遠く仙丈岳のピークに人 の姿が見える。露岩を背にして風をさ け、満杯の太陽の光を浴びる。(写真 は稜線でくつろぐメンバーの皆さ ん。でも何故かよそよそしい。大松さ んなんかケツを向けている。この写真は未掲載準備中) 仙丈岳の西の斜面を登る頃はすさま じい強風にみまわれた。背を丸めて強 風をやりすごす時間が、長く感じられ た。後で聞いた話だが仙丈岳の山頂付 近で大松さんは一瞬体が浮いて転倒し たそうである。相手が相手だけに多少 割り引いて、ありそでなさそうな=な さそでありそな話としてきき流してお くことにしょう。 正月とあって下から大勢の登山者が 登ってくる。今更ながら何と長い尾根 だろうと思う。その先には河原歩きが 待っている。 今年も正月早々馬鹿をやっている。 中年男三人と60にもなるおやじが一人汚いカッコウで山をほっつ き歩いている。 「お前ら正気か?ああ−ん?」 「べらんめ−、正気であろう筈がなかろうガ! アルコールで脳ミソがぶやけちやってんだョ!」 |